サヴォイ・ボールルームのこと

“Swing may not have been invented at the Savoy, but it matured there.” – John Hammond

 スウィングの歴史を語る上で忘れてはならない場所、それが Savoy Ballroom です。有名な「Stompin’ at the Savoy」をはじめ、サヴォイの名は数多くの曲にも残されています。 

 サヴォイ・ボールルームは、1926年3月12日、ニューヨークのハーレムにオープンしました。南北に伸びる Lenox Ave. 沿いの140丁目から141丁目まで1ブロックにもまたがる巨大なダンスホールで、収容人数は4000人ともいわれました。長方形のダンスフロアは “the Track” ともよばれ、年間およそ70万人ほどが訪れていたとか。(ダンスフロアは3年に1度は張り替えていたようです!)

 1920〜40年代にかけてアメリカ全土にダンスホールができ、ハーレムにも数多くのダンスホールがありましたが、サヴォイはその頂点ともいえる場所でした。

 サヴォイ・ボールルームがオープンする以前、黒人が入れるダンスホールは限られていました。黒人ミュージシャンの演奏の場も限られており、Duke Ellington や Cab Calloway 楽団などの例外を除いて、高級ナイトクラブやホテルなどでの仕事が回ってくることはなく、Jimmie Lunceford 楽団や Lucky Millinder といった面々ですらなかなかいい仕事に就けなかったとか。また黒人向けダンスホールで白人の楽団が演奏することもほとんどありませんでした。

 サヴォイ・ボールルームは肌の色に関係なく、誰もが音楽とダンスを楽しめる場所でした。当時のレストランやダンスホールがしていたように黒人用の出入口を別に設けることもしませんでした。そして黒人と白人が一緒に演奏して交流する場となり、その結果スウィング・ジャズ、そしてスウィング・ダンスが開花します。

 サヴォイではチャリティダンスなどの慈善事業を行ったり、有色人種による最初のミスコンテストなど歴史的に意義のあるイベントも開かれました。また1935年、人種問題による激しい暴動がハーレムで起こった際には、Daily News 新聞社とサヴォイとの間で話し合いが持たれ、大規模なダンスコンテスト「Harvest Moon Ball」が開かれることとなり、ワルツやフォックストロットなどいわゆる社交ダンスに加えてリンディホップが種目に入ることになりました。このコンテストはNYで毎夏開催され、1974年まで続きます。

 サヴォイ・ボールルームは、1958年7月にその歴史の幕を閉じます。今は公団住宅となった跡地には、当時から踊り続けるダンサーをはじめスウィングダンスを愛する現代のダンサー達の尽力により記念碑が立てられました。そこにはサヴォイのニックネームだった「the Home of Happy Feet」の名が刻まれています。

Mark the SAVOY

サヴォイ・ボールルームの記念碑設立プロジェクトのページ

サヴォイの歴史、場所などの情報もあります。

http://www.savoyplaque.org/index.htm

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