1920年代〜のアメリカは、Dance Craze とも呼ばれるダンスブームが度々訪れました。Dance Marathon とよばれる耐久コンテストをはじめ、Charleston、Blackbottom、Big Apple そして Lindy Hopなどのダンスが熱狂的に受け入れられた背景には、深刻な経済不況や人種差別など不安定な社会状況も影響しています。
シカゴやNYハーレムで家賃が高騰し、レントパーティが盛んに開かれた時代には、Mess-around や Shimmy、Fishtail といった場所が狭くても踊れるダンスが流行します。スウィングの時代にはわずかなお金でビッグバンドが演奏するダンスホールへ行き、一晩中楽しむことができたといいます。ダンスはお金がなくても楽しめる娯楽であり、日常の不満や不安を晴らす手段として当時の人々の生活に欠かせないものだったのでしょう。
リンディホップは、ジャズステップをはじめ当時流行していたさまざまなダンスを取り入れながら発展していきます。その多様性と柔軟性がリンディの魅力でもあり、またショービジネスの世界でリンディホッパーの可能性を広げたとも言えます。下記に紹介するダンスは、当時とは多少変わりつつも、いまもリンディホップのフロアで踊られています。
Dance Marathon
1923年頃イギリスから伝わったと言われる、休憩なしで何時間も踊り続けるサバイバル・コンテスト。短い休憩をいれながら数日〜数週間にわたって踊り続ける場合も。何とかして名を売ろうと参加するダンサーや芸人の卵も多く、アニタ・オデイもダンスマラソンで歌手としてのチャンスを掴んだとか。一大ブームになるものの、健康を害する人やさらには死者まで出たため、規制が設けられたり、州によって禁止されるようになります。Walkathon、Derbies などと名前を変えながらしばらく続くものの、第二次大戦が始まる頃には姿を消していきます。最長記録は1930年8月にスタート、なんと翌年4月1日に終了!勝者は、5148時間踊り倒したのだとか。…ホント??
Shimmy Dance
1920年代頃から流行した、肩や上半身を揺さぶるダンスのこと。下着やスリップドレスを意味する Chemise が語源と言われ、Gilda Gray という歌手がスリップドレスで Shimmy の動きをすることからその名がついたとか。「Shimmy Sha-Wabble」 「I Wish I could Shimmy Like My Sister Kate」など曲名にもなり、その歌詞がこのダンスのことをよく表しています。「I wish I could shimmy like my sister Kate, Shimmy like jelly on the plate. My mommy wanted to know last night, “Why all the boys treat Kate so good ?” Everybody in the neighborhood says she can shake it mighty good…」ケート姉さんみたいに、男の子達にちやほやされるようなシミーができるようになりたい…という歌詞からはセクシーな動きをイメージしますが、当時はカップルダンスとしても踊られていたそうです。ちなみに Shim Sham というタップのルーティンのことを「Shim Sham Shimmy」とよんだりします。
Black Bottom
泥でぬかるんだ地面を踏みしめる牛の足から、または泥の中でなんとか踊ろうと遊んでいた子供達からヒントを得て生まれたといわれるブラックボトム。その由来のごとく、どろどろの地面を踏みしめるように足をねっちりと動かすステップが特徴です。1900年代には既に南部で踊られていたそうですが、1919年に Perry Bradford が「Original Black Bottom Dance」を発表したのをきっかけに知られるようになり、1924年ブロードウェイの「Dinah」でそのステップが紹介されると一夜で大ブームに。1926年にブロードウェイで披露した Ann Pennington が代表的なダンサーとされ、一時はチャールストンを凌ぐほどの流行になります。
Truckin’
1930年代半ばに流行したステップで、片手で天を指さしながら、左右の足で交互に斜めに小刻みに歩きます。コットンクラブでハウスバンドを務めていたJimmie Lunceford 楽団は「Truckin’」という曲を毎回ステージの始まりに使っていたそうですが、曰く「They had to have something new, a dance to do, up here in Harlem-so, someone started truckin’.」このステップの生みの親は、アポロ劇場などで活躍していた当時の人気コメディアン Pigmeat Markham という説がありますが、それ以前から既にあったという説も。どちらにしろ Pigmeat が流行のきっかけをつくったことは確かなようです。辞書によると「Truck」には、ジルバのステップという意味も。
Big Apple
サウスキャロライナにあった「Big Apple Night Club」で踊られていたことからその名が付いたといわれ、NYとは関係がないようです。数名で輪をつくり、一人もしくは一組のカップルが交代で輪の中心に入り、指示したステップをみんなで即興で踊るというもの。その起源は、プランテーション時代、黒人達の間で行われていた「Ring shout」という儀礼的な踊りとも言われています。1930年代「Big Apple」クラブで黒人ダンサー達が踊っているのを見た白人の大学生達によって広められ、1937〜38年には劇場でのショーにも取り上げられるなど、一躍有名に。現在のリンディホッパーの間では、映画「Keep Punchin’」の中で”Big Apple Conetest”として踊られるフランキー・マニングの振付によるルーティンが有名ですが、本来はコーラー(caller)の掛け声に合わせて即興で踊ります。