リンディホップの衰退とリバイバル

 リンディホップは、スウィングブームの終焉とともに表舞台から姿を消していきます。その背景にはフェミニズムの台頭も影響していたといいます。いわく男性がリーダー、女性がフォロワーという位置づけが、当時のフェミニズムと相反するものだったから。50年代にはまだかろうじて踊られており当時の映像も残っていますが、徐々に新しいスタイルへと移行していく片鱗も見えます。そしてサヴォイボールルームも1958年にはついに閉店してしまいます。

 1980年頃からリンディホップのリバイバルブームが始まります。大きなきっかけの一つはスウェーデンのダンスチームがサヴォイボールルームで踊っていたダンサー Al Minns を発見して師事し、その後リンディホップのダンスキャンプを毎夏開催するようになったこと。アメリカでも、やはりサヴォイの花形ダンサーだった Frankie Manning が再評価されるようになり、90年代にはアメリカをはじめスウェーデン、イギリスなどで一大リバイバルブームが起こります。ネオスウィングの流行とともに NY や LA ではビッグバンドスタイルのバンドやリンディホップを踊れるナイトクラブも増え、毎晩どこかでリンディホップが踊れるほどになりました。

 21世紀に入って一時のブームは去りましたが、アメリカの他、イギリス、フランス、スウェーデン、ドイツ、シンガポールなど世界の国々で、イベントやワークショップが行われています。また最近では韓国やアメリカの南部など以前はあまりスウィングの文化がなかった場所で一挙にダンサーが増え、リバイバルブームもさらに新しい世代に入りつつあります。

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